Source: Nikkei Online, 2023年8月4日 2:00
第4回で少しふれた長谷寺本尊十一面観音像は弘安3年(1280年)にも焼失した。このときの本尊再興の記録「弘安三年長谷寺建立秘記」には、大仏師運実以下、再興に参加した多くの仏師の名が書き留められているが、そのなかにみえる尭慶(ぎょうけい)境賢房法橋は、善派仏師の造像にも関係したふしがあり、その一派に属するらしい。
奈良・円成寺の聖僧(しょうそう)坐像は尭慶の遺作で、銘記によって尭慶が文永7年(1270年)に造った食堂(じきどう)安置の像であることがわかる。食堂は、寺の僧が一堂に会して食事をとるための堂で、そこに安置される僧形像は「僧形文殊」とも「賓頭盧(びんずる)尊者」ともされる。いずれにせよ、その老貌は僧の行動の模範となる聖なる僧の姿だという。それを生々しく実在の人物のごとくあらわす表現に、この時期の善派仏師の特徴がある。
東京の社会福祉法人上宮会(じょうぐうかい)が所蔵する聖徳太子立像は、円成寺聖僧像と同じ年に尭慶が造ったもので、初めは奈良・不退寺にあった。この像は1936年に焼損し、その後、頭部が補作されたが、写真でみる元の面貌は、若き聖徳太子の像なのに円成寺聖僧像によく似ているのはおもしろい。
(1270年、木造、彩色、玉眼、像高82.7センチ、円成寺蔵)