囲碁の闘士たち
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(2)ファンと触れ合う「平熱の勝負師」
次代担う芝野虎丸
Source: Nikkei Online, 2020/10/27 2:00更新
「名人にはなりましたけど、囲碁だけやっていていいのかなといつも思いますし、むしろプロになりたかったわけでもないです。けっして囲碁が嫌いなわけではないのですが……」
王座戦で井山を下した芝野は、史上最年少で二冠となった
(写真右、2019年11月)
2019年秋、芝野虎丸は史上最年少19歳で名人のタイトルを獲得した。勢いにのって王座戦で井山裕太を倒して二冠、さらに三冠と積み重ねた。連載前回で触れた、しばしば井山を打ちのめしているという若手こそ、この芝野だ。今秋、名人を失って二冠に戻ったが、次世代の旗手と目されている。
■ 目標や野望は掲げない
勝負に熱くなるそぶりを見せない
「平熱」スタイルが持ち味だ
オールドタイプの、何もかもなげうって囲碁をきわめるという棋士ではない。ふだんは勝負に熱くなるそぶりを見せず、将来の目標や野望も掲げない。その自然体のスタイルで「平熱の勝負師」というあだ名もついた。
その芝野がほのぼのした口調で心のうちを明かす。「(囲碁の)普及とか全然うまくいかなくても、正直言っちゃうと構わないけど、なんだかんだずっと囲碁をやってきたし、いろんな方のお世話になってきたので、やっぱり囲碁界が盛り上がればうれしいですよね」
囲碁界は愛好家の減少に悩んでいる。レジャー白書によると、1年に1回でも囲碁を打ったことのある人は230万人と、10年前の約3分の1に減っている。かつては経営者や取引先とのコミュニケーションのひとつとして、企業に入ると盛んに学ばれたが、今やファン層の中心は高齢者となった。さらにコロナ禍で、閉鎖空間で対局しがちな囲碁は敬遠されるようになっている。
■ 地盤沈下に心痛める
芝野もまた棋士の一人として、その地盤沈下に心を痛めてきた。トークショーやサイン会など声をかけられれば都合がつく限り出演する。コロナ禍で対局が止まった4~5月に撮影し、動画投稿サイト「ユーチューブ」で公開した映像もそのひとつだ。
たどたどしくピアノを弾く動画を
公開した(画像はユーチューブより)
ピアノでSMAPのヒット曲「世界に一つだけの花」を弾く。ぎごちない手つきで、ゆっくり弾いてもつっかえつっかえだ。真っ暗な画面で女性ボーカルグループLittle Glee Monsterの「Love To The World」を歌ったものもある。一人でのハーモニーだ。一見、たくさんある投稿とたいして変わらないが、作ったのは囲碁の二冠なのだ。
最年少で七大タイトルを取った次代を担う若手という立場は、将棋で二冠となった18歳の藤井聡太と変わらない。それなのに軽々しいと眉をひそめる向きもないわけではない。しかし芝野は意に介さない。「音楽が好きで、ずっとやってみたかった。スマホのアプリを使ったら好評でしたよ。将来ユーチューブをやりたくなったときのため、いい経験になった」
芝野はもともとは極度の引っ込み思案だった。小学3年から囲碁の修業をしていた洪道場の主宰、四段の洪清泉は懐かしむ。「きちんと受け答えができなくて、礼儀を重んじる先生の一人に叱られて道場が怖くなったようで、『うん』『いいえ』しか言わなかった」。一緒に教室に通っていて、のちにプロになる二段の兄、龍之介の陰に隠れていたという。
父がスマホなどのゲームプランナーで、芝野の家にはボードゲームやテレビゲームはたくさんあった。「たいていクリアすると飽きちゃう。けれど囲碁は終わりがなくて、自分に合っていた」。打っているときに、これはいい手だなと実感するときの心地よさ。自分の読みがうまくいって、はまったときの楽しさが忘れられなかった。
もともとは極度の引っ込み思案な性格だった
姉は東大、そしてプロ棋士でもある兄は東京理科大に進学した。そんな姿を見てきた芝野も、囲碁一本の生活には少し物足りなさを感じていたようだ。「なんやかんや囲碁の勉強はしていたけど、実は中学校で友達とおしゃべりしているほうが楽しかった」。14歳で入段した時、師匠格の洪に「プロ入りで満足せずに」と訓示されたが、「そもそもプロになりたかったわけではないので響かなかった」と笑う。
プロを敬遠していたのは「負けるのが嫌いだったから」。実際、プロ入りすると対局前には緊張するようになり、2年前にはそれが高じてメンタルの調子を崩したほどだ。特に対局日は体が重く、布団から抜け出せないようになっていた。
ちょうど名人戦の挑戦者を決めるリーグ戦を戦っていた。10代でタイトルを取るにはラストチャンスで、周囲の期待もなんとなく感じていた。しかしタイトル戦にあわせて開かれるイベントで人前に出ることも、想像しただけで気が重い。「勝ったら勝ったでうれしい、負ければタイトル戦が遠ざかるのでうれしい。すると妙に良い心理状態になって、そのまま名人になってしまいました」と芝野は振り返る。
■ バラエティー番組にも出演
大盤解説会のイベントにも積極的に足を運んでいる
頼まれると断るのは苦手で、指導碁や大盤解説会、サイン会、トークショーなどイベントが目白押しになり、テレビのバラエティー番組にも出演した。さまざまなファンと触れあうのは新鮮な経験で、意外に楽しめた。「誰に何と思われようと、もうどうでもいいや」。達観にたどり着いた。
囲碁界では、若手の女性棋士が作ったフォトブック(写真集)や、プロ棋士が自分の手を解説しながら1手10秒で対局してユーチューブで公開するといったファン重視の取り組みが広がっている。「効果はともかく、新しい試みを見ることが増えてワクワクする。少なくともマイナスになることはない。たくさんの人に囲碁のおもしろさを知ってもらって、棋士を応援してもらえたらいいですよね」。芝野はのどかな口ぶりで語る。
=敬称略、つづく
(山川公生)