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(5)囲碁は世界をつなぐ 井山裕太・柯潔・朴廷桓の交流
Source: Nikkei Online, 2020/10/30 2:00更新
日本、中国、韓国の代表5人ずつが1年がかりで戦う勝ち抜き団体戦がある。
国と国の意地がぶつかりあう農心辛ラーメン杯世界囲碁最強戦の2020年大会は、コロナ禍でネット対局となった。韓国の主将、朴廷桓(パク・ジョンファン)は第10戦から日本トップの井山裕太を含めて4人抜きし、8月の中国のエース柯潔(か・けつ)との最終決戦にたどり着いた。
母国の期待を背負った2人の対局は微差のまま二転三転したが、最後はわずか半目差というギリギリの勝負を柯が制し、中国に2年連続8回目の優勝をもたらした。そして柯は、朴との直接対決の戦績を13勝13敗の五分に戻した。
ワールド碁チャンピオンシップの決勝で対局する
柯潔(左)と朴廷桓(2019年3月、東京都千代田区)
27歳の朴、23歳の柯、そして日本の31歳井山裕太の3人は、各国を代表する第一人者として長くしのぎを削ってきた。特に朴と柯は「世界で頭1つ抜け出ている存在」(井山)。奔放な発言や振る舞いで人気を集める天才肌の柯と、謙虚でマジメな朴という対照的なところのある性格ながら、ともに国を代表する重圧は半端ではない。
■ 芸能人なみのスター
柯は母国では芸能人なみのスターだ。中国版ツイッター「微博(ウェイボ)」ではフォロワーが500万人を超え、世界戦で負けると「遊んでいないで勉強しろ」などとバッシングが殺到することもある。外食するにも一苦労。「私を知る人がほとんどいないし、伸び伸びとリラックスできる」ので日本が好きというほどだ。
日本の井山裕太と対局する柯潔(2019年3月)
17歳だった15年に世界戦で初めて優勝し、一気にトップに上りつめた。柯をよく知る日本棋院の七段の孔令文は言う。「北京にある私の父(聶衛平)の道場に通っていた頃は、たくさんいる子供の一人だったが、勉強量がすごくて頭角を現した。別のゲームの大会で優勝するなど多才なので誤解されがちだが、『分からないことがあれば柯潔に聞け』といわれるぐらい囲碁に精通していた」
思ったことをそのまま発信するので、時に物議を醸すことがある。女性にも容赦はなく、チームメートの失着(失敗の手)をファンの前でいくつも責め立て、泣かせてしまったこともある。「やんちゃというか、正直なんだよね。けど、そこが人を引きつける魅力でもある」と孔は証言する。
■「私は勝たなければならない」
一方の韓国・朴は11年、18歳で世界戦初優勝した。日本開催のワールド碁チャンピオンシップで3連覇するなど実績は十分。海外遠征してもホテルに籠もりっきりで、パソコンに向かって対局の準備や反省をしているというマジメぶりだ。それには韓国囲碁界を背負っているという覚悟がある。「自分のことを世界一とは思っていないが、私は勝たなければならない。世界戦で活躍できなければファンは増えず、低迷している囲碁界はいつまでたっても盛り上がらない」
韓国では、頭脳を鍛える子供の習い事のひとつとして囲碁はとらえられていて、勉強に専念すべき受験期に入るとどうしても遠ざかってしまう。プロ棋士でもあり、韓国・明知大で囲碁学を教える南治亨は「世間の注目を集めていないと、あっという間に習い事の入門者は減ってしまう。スポンサー撤退で廃止されたプロ棋戦も多く、生活が成り立たなくなっている棋士も少なくない」と指摘する。朴もそうした韓国囲碁界の実情をひしひしと感じているのだ。
そんな中国、韓国勢にこのところ押されっぱなしの日本だが、かつては世界の囲碁界を引っ張る存在だった。
1984年、第1回日中スーパー囲碁の様子。
中国の聶衛平九段(右から3人目)が藤沢秀行九段
(前列左から2人目)を下した
世界戦では日本が勝って当たり前という雰囲気を、如実に示すエピソードがある。1984年に始まった8人ずつの勝ち抜き団体戦である「日中スーパー囲碁」。第1回、日本は6番手の小林光一が6人抜きして中国勢をあと1人まで追い詰めたものの、そこからまさかの3連敗で逆転を許してしまった。小林を含め、日本の3人は責任を感じて丸刈りになった。
■ 脈々と続く交流の歴史
そんなプライドをかけた紙一重の戦いを、日中韓の棋士たちはずっと続けてきた。だからこそ互いに認め合い、深いところで理解するような関係もまた築かれてきたと言える。実際、柯や朴、井山はとても仲が良く、勝負が決まれば誘い合って一緒に食事に行くようなことさえある。
それは脈々と続いてきた交流の歴史にも根ざしているのだろう。昭和期には日本で修業した趙南哲が韓国棋院の源流となったし、名誉棋聖の藤沢秀行は多くの弟子を引き連れ何度も訪中していた。普及や育成でも学び合い、刺激し合ってきたのだ。
さらに約30年前に始まったペア碁は、欧米も含めた世界につながりを広げている。ペア碁とは男女2人1組になって球技のダブルスのように交互に打つルールで、ぐるなび会長の滝久雄が考案した。
■ 東アジア、そして世界つなぐ文化に
それぞれの国の伝統服で身を包んでペア碁で対局し、
親睦を深める柯潔(右)と井山(左から2人目)(2017年10月)
毎年12月に東京都内でアマの世界大会が開かれ、和服を含めて華やかな伝統衣装に身を包んだ対局姿が見られる。対局が終われば言葉は通じなくても身ぶり手ぶり、勝っても負けても和気あいあいだ。こうした結びつきは、国際情勢や社会の雰囲気によって揺るがされるものではない。日韓関係がギクシャクした19年夏、訪日してプロ棋士のペア碁の大会に出場した朴は喜びを語っていた。「参加できて感謝しているし、囲碁で交流できるのはいいことと思う」
井山は囲碁の良さについて、こう口にする。「碁盤を挟めば老若男女、誰でも自分の力に応じて楽しめる。その真剣勝負のなかで、ずっと人と人のつながりを大事にしてきた。そうした文化を大切に継承していきたい」
=敬称略、おわり
(山川公生)